『文学のふるさと』テスト問題〈第二段落〉




【二】本文について、設問に答えよ。

もう一つ、違った例を引きましょう。これは「狂言」の一つですが、大名が太郎冠者を供につれて寺詣でをいたします。突然大名が寺の屋根の鬼瓦を見て泣きだしてしまうので、太郎冠者がその次第を尋ねますと、あの鬼瓦はいかにも自分の女房によく似ているので、見れば見るほど悲しい、と言って、ただ、泣くのです。
まったく、ただ、これだけの話なのです。「狂言」の中でも最も短いものの一つでしょう。
これは童話ではありません。いったい狂言というものは、真面目な劇の中間にはさむ息ぬきの茶番のようなもので、観衆をワッと笑わせ、気分を新たにさせればそれでいいような役割のものではありますが、この狂言を見てワッと笑ってすませるか、どうか、もっとも、こんな尻切れトンボのような狂言を実際舞台でやれるかどうかは知りませんが、①決して無邪気に笑うことはできないでしょう
この狂言にもモラル  あるいはモラルに相応する笑いの意味の設定がありません。お寺詣でに来て鬼瓦を見て女房を思いだして泣きだす、という、なるほど確かに滑稽で、一応笑わざるを得ませんが、同時に、いきなり、突き放されずにもいられません。
私は笑いながら、どうしても可笑しくなるじゃないか、いったい、どうすればいいのだ……という気持ちになり、鬼瓦を見て泣くというこの事実が、突き放されたあとの心のすべてのものをさらいとって、平凡だの当然だのというものを跳躍した驚くべき厳しさで襲いかかってくることに、いわば②観念の眼を閉じるような気持ちになるのでした。逃げるにも逃げようがありません。それは、私たちがそれに気づいたときには、どうしても組みしかれずにはいられない性質のものであります。宿命などというよりも、もっと重たい感じのする、のっぴきならぬものであります。③これもまた、やっぱり我々の「ふるさと」でしょうか
そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成り立たないように思われるけれそも、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、④モラルがない、ということ自体がモラルなのだ、と。
モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思いません。むしろ、文学の建設的なもの、モラルとか社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思うものです。

 

 

問一 傍線部①とあるが、それはなぜか。次の空欄に当てはまる語句を本文中から抜き出しなさい。
◆鬼瓦を見て大名が泣くということに対して、笑う理由となる( 三字 )が設定されていないから。

問二 傍線部②とあるが、どういうことか。

問三 傍線部③とあるが、筆者が「これ」を「ふるさと」と表現したのはなぜか。

問四 傍線部④とあるが、
(1)どういうことか。わかりやすく説明しなさい。
(2)この言葉で筆者が主張したいものは何か。

 

 




 

 

 

 

 

 

 

【解答例】
問一 モラル
問二 あきらめの境地に至ること。
すべてを委ねること。
思考することを停止すること。
問三 「これ」は、我々が本質的に抱える「孤独」であり、我々はそれと向き合い、そこから出発することが大切だと考えるから。
問四(1)自分ではどうすることもできない善悪の判断を超越した物事に直面したときは、モラルがないという自覚を持つ必要があるということ。
(2)我々の「故郷」ではモラルは存在せず、その自覚に立って向き合うことがモラルを生み出すことになるということ。




 

 

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